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2007年9月10日 (月)

ついでに「逆立ち日本論」もいきましょう

逆立ち日本論 (新潮選書) 逆立ち日本論 (新潮選書)

著者:養老 孟司; 内田 樹
販売元:新潮社

でもって昨日に引き続き内田先生の話。謎めいたタイトルの本。これも「どんな本か理解したいという欲求を宙吊りにされてしまうような」予感が大です。だって養老さんと内田先生との対談でしょう!?

と、一様気合を自分なりに入れて読み始めました。

ノッケからユダヤ人論の逆立ち作戦が始まり、話はややこしくなっています。

内田:「『ユダヤ教』とはなにか」という入門的な問いを避けて、「『反ユダヤ主義』は何を標的にしているのか」ということろから入りました。その辺りが養老先生のお好みの「対偶」の考え方、「逆から入る」という考え方かもしれません。(50ページ)

つまりユダヤ人やユダヤ教というものを「ズバリこういうものだ」と定義することができないので、「非ユダヤ人や非ユダヤ教というものをまずはとらえていこうというもの。その対象になっているものに直接光を当てるのではなく、その光が当たっていないところをよく観ていくと対象そのものが浮かび上がっていくという考え方だと思いました。

ユダヤ人の言及の中でとても興味深かったのは「ユダヤ教の宗教性の本質が時間性」にあるということでした。ユダヤ教では、神の時間先行性こそが神性を構築しているために視覚―造形芸術(絵画、彫刻など)は厳しく禁圧されていたそうです。しかし音楽などの聴覚―時間の芸術は禁忌されることがなかったということ。今の世界の偉大なる音楽家にユダヤ人がとんでもなく多いことからも納得できます。さらにユダヤ的基準から時間性があるとされる映画界もユダヤ人に席巻されています。内田先生の言葉によると、ハリウッドのメジャー8社のうち7社までがユダヤ人が作った会社だそうです。

それと「先生はえらい」の中でも、弟子が勝手な誤解で師から学んでいくという逸話『張良』―「沓を落とす人」の話しが出てきますが、「逆立ち日本論」の中にも同じような誤解の話として落語の『蒟蒻問答』を載せています。誤解が誤解を呼び傍から観ていると面白おかしいのですが、この誤解が大事なんですね。

最後に第6章「間違いだらけの日本語論」の中で、養老さんも内田先生も「語る文学」として例に挙げられていたのがジェーン・オースティンだったんです。養老さんいわく、「意地悪でねばっこい語り」で、内田先生いわく、「ぬるい風呂に入って、出られなくなったみたいな文章」と一見けなしているようです! が、一癖も二癖もあるご両人、これは最高の褒め言葉として受け取りました。オースティンを好きな人に悪い人はいないという、コニコの誤解もまた善しとしてくださいませ。

今日の言葉

contraposition (対偶)

「すべてのSはPである」という判断から導かれる「すべての非Pは非Sである」、および「Pが真ならQは真ある」という判断から導かれる「Qが真でなければPは真でない」を、それぞれ原判断の対偶という。原判断が真ならば、その対偶も真である。

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