爆笑問題x福岡伸一=大いなる哲学
昨日に引き続き、コニコの公式第2弾、爆笑問題の掛け算で導かれるものは―
この記事をずっと書きたかったのです。「爆笑問題のニッポンの教養」を見始めてずいぶんと刺激を受けてきたけれど、この回ほどじわじわと触発されたことはなかった気がします。
File-011「生命が生命である理由(わけ)」福岡伸一(分子生物学者) 10月2日放送
この方、ただものではありません。爆笑問題に「大阪食い倒れ人形」とチャチャを入れられても(そっくりなのでビックリしますが)、彼の佇まいは科学者というより、哲学者や宗教家のよう。そうか、深く真理に近づいている人の佇まいって科学者とかの肩書きをいうよりも、何かいい意味で諦観しているような「不思議なオーラ」を醸し出しているのでしょう。そういえば彼自身も「科学も哲学ですから」と言っていました。
福岡先生の一言一言には含蓄があります。
生命は、大きなエントロピーの増大という流れに、自らを壊しながら作り変えるという営み―時間という中に存在する1回きりのもの。去年の「わたし」は今の「わたし」とは全然違う「わたし」―たとえクローン技術がいくら進んでヒトラーと同じ遺伝子を持つ人間を作ったとしても人類の一期の時間で現われたあの独裁者ヒトラーと同じではありえないと納得できます。 地球上、もっとマクロに宇宙上の生命が成り立つということは、分子の一期一会がなせる業―そして常に分子は流れていって循環し、輪廻していく―これって、もう宗教のよう。「千の風になって」も分子生物学的歌ともいえるという福岡先生の表情はなんと柔和なんでしょう。 この辺りで爆問の太田さんも、もう一学生となって日頃思っている考えを先生にぶつけていました。それは「宗教と科学のせめぎあい」。福岡先生はこう答えていました。
人間が考えるものは根本のところではもう遥か昔に考えられていて、今考えられたり、研究されたりしているのは新しい文体を探していることになる―自分で語れる言葉を探すことなのでしょう。ここには常に自己懐疑があり、絶望とは対極の諦観がある気がします。自分が全く新しいものを創る出すことは出来なくても、それがクリエイティヴでないということにはならないと思うからです。驕らずに自分なりの言葉を見つけることで、そこには十分オリジナリティがあり、新しい文体があると思います。 ではなぜ人は学ぶのか。先生は一言
太田さん、その答えに我が意を得たりという顔をしてました。なんか微笑ましかったです。 ここでふと思い出したのが内田樹著「下流志向」の冒頭のページ。「学びからの逃走」でした。そしてその言葉はエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」から作り出された言葉なのでしょう。非常に矛盾しているようですが、学びの順序として、「既成概念から自由になるために既成の概念を学んでいく」ということが土台として必要だと思うんです。学びから逃げないで、謙虚に自己懐疑をしていくと見えてくる自由がある気がします。 今回の「爆問ポン」はわが家の永久保存版になりました。 今日の言葉は life Life is the quality which people, animals, and plants have when they are not dead, and which objects and substances do not have. - Cobuild English Dictionary 生命とは、死んでいない状態の人間、動物や植物にある資質であり、物や物質にはない。―コウビルド英英コウビルド辞典(コニコ拙訳) |
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コメント
福岡先生も著作が売れて注目されて、少しTVでも取り上げられ始めましたね。
でも、ココまで深く掘り下げているのは「爆問学問」だけですが!
投稿: あり | 2007年10月23日 (火) 19時08分
ありさん、また来てくださってありがとうございます。コメントも感謝。貴ブログにもコメントとTBさせていただきました。(コメントの方は実はもっと書きたかったのですが、間違って「送信」を押してしまいました。)
次回は福岡先生の本について書こうと思っています。私はみられなかったのですが、この間「王様のブランチ」に出ておられたとか。どうせ出るなら今度は「プロフェッショナル」っていうのはどうでしょう?
投稿: コニコ | 2007年10月23日 (火) 22時03分