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2008年3月27日 (木)

余熱の書「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する」

「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する (光文社新書 319)

本編を読んだ勢いで、 「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する (光文社新書 319) (亀山 郁夫著、光文社)まで読み切りました。

まさに亀山氏の熱が読者にも伝染してしまったのです。

題名を見た時は、「エッ、とうとうドストエフスキーが亀山先生に憑依して書いた続編?」などと、それこそわたしが妄想してしまいましたが…。実際はドストエフスキーの死後に残された手がかりから亀山先生が”こんなテーマでこんな展開が空想できる”と解説したものだったんです。

さてさて、「カラマーゾフの兄弟5―エピローグ別巻」の長い解説の最後の文は、「『カラマーゾフの兄弟』は、あくまで未完の物語である」(「カラマーゾフの兄弟5」351ページ)でした。そして本書の冒頭が「『カラマーゾフの兄弟』は、未完の小説である」(9ページ)なのです。

未完と断言するほど、わたしも全然ドストエフスキー・ディレッタントではないのですが、「カラマーゾフの兄弟」を読了して、何かエピローグに次につながる新たな始まりを感じていました。物語後半に突然スポットライトを浴びる「コーリャ・クラソートキン」という少年が、ストーリーの中で何か成長途中のような気がしてならなかったのです。

亀山先生の空想の翼は数々の手がかりと残された言葉の断片からパッチワークのようなにつながっていき、大きな枠組みを創り始めます。

「神への信仰とテロリズムの同居、キリストの理想を実現するのなら社会的な暴力も許される・・・」(238ページ)という思想がどう形成されていくかが、未完の「第2の小説」では一つの中心的ドラマとなったであろうという慧眼。特に第4章―「第二の小説」における性と信仰―は読者の空想を掻き立てます。コーリャの将来は?そしてイワンとリーザとの関係は…面白すぎる。

亀山先生が最後に自らこう本書を結んでいます。

「妄想」とのそしりもでてくるだろうが、ドストエフスキーの脳裏をかすめたかもしれな一瞬の出来事、あるいは破り去られた創作ノートの一部と割り切り、つかの間の真夏の夜の「夢」を楽しんでいただけたら幸いである。(260ページ)

今、桜の森の満開の下であらためて「カラマーゾフの兄弟」を夢見させてもらいました。

今日の言葉

Mr. Kameyama's enthusiasm of Dostoevsky was contagious, and I started reading..

(亀山氏のドストエフスキーの熱狂が伝わってわたしは読書を始めた。)

お知らせ(ちょっと先の話ですが)

NHKラジオ、カルチャーアワー「文学の世界」(木曜日午後8:15~8:45)

10~12月に「『カラマーゾフの兄弟』の魅力」と題して亀山先生がお話をされる予定です。

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