« おいしいコーヒーは楽しい | トップページ | ねんりん家のバームクーヘンでCoffee Break »

2008年3月 3日 (月)

「クジラは潮を吹いていた」

クジラは潮を吹いていた。

以前書いた展示[water] のディレクターをやっていた佐藤卓さんのクジラは潮を吹いていた。(佐藤 卓著、トランスアート)をみつけた。

この本自体がデザインになっていて、本屋にある他の本とは少し違った佇まいをしている。本が「手にとってみて!」と呼んでいる。

光沢のあるマリンブルーに白字でスッと書いてあるタイトル。どこか村上春樹の「ノルウェーの森」を思わせる、シンプルだけれどどこか惹かれる装丁。

本を開くと右がエッセー、左が丁寧に撮られたデザインの数々。歳を重ねるごとに佐藤さんがどんなことを考えながらデザインしていったかが綴られている。まるで彼のデザインの年輪をみているようだ。

「あっ、この商品も」「エー、このデザインも」というものばかり。懐かしいニッカのピュアモルト、ロッテのミントガム、馴染み深い神戸コロッケの招き猫や明治のおいしい牛乳。

Photo_3 そう、「おいしい牛乳」のデザインは大人でも子供でも思い浮かべられるデザインだと思う。彼のこのデザインは「そのまま」を探す作業だったそうだ。「毎日冷蔵庫になるものが、普通であること。普通とは、周辺の一部になること。ほとんど無意識の領域に入ること。自分にとってもこの領域は、未知の領域である。」(222ページ)といっている。無意識の領域に入って、人を惹きつけるところがやっぱりどこか春樹的。

商品として目立たなければいけないという足枷を越えて、彼のデザインの過程には、デザインが「過剰な主張をしない」ことを貫いているスゴサがある。「作家のためのデザイン」という項でこんなことを語っている。

作家にとっては作品集は作品の一部である。なので、本来は作家の作品集は作家が自らを客体化して作ったほうがいいと思う。

 しかしその技術を持ち合わせていないからデザイナーが参加することになる。言い換えれば、デザイナーは翻訳者に徹するほどいいということ。作家が何をしたいのか、本というメディアを通して何を伝えたいのか、作家自らが気付いていないことなどを引き出すことが重要なのである。同じ言葉でも通訳者によっていろいろな通訳があるように、通訳としてのデザインもデザイナーの数だけある。そこにデザイナーの個性が出る。個性は対処の仕方にあるのであって、表現に存在するものではないというのが私の考えである。個性から表現は出てしまうのであって、個性的な表現をすることに意味はない。個性とはそんな表層を指す言葉ではない。作家の作品集は、作家から引き出されたものが、そのまま余計なことをせずに仕上がれば仕上がるほどいいと思っている。 144ページ

Photo そしてデザインは人のように歳を重ねていくことを教えてくれる。北海道大学のコミュニケーションマークは、北海道大学を中心に北海道を130度回転してできた形だそうだ。回転が知恵を表し、回転による軌跡が知識を表し、その130度という角度は北海道大学の130年の歴史を表すということ。このデザインも時と共に回転を進めていくことだろう。

Photo_2 最後にタイトルについて。なんのことをいっているかということは、是非この本をご自分で読んでみつけてほしい。きっと「へ~、面白いな」って思えるから。ウフッてね。

今日の言葉

モノと人の関係を丁寧に見ていくと、残すべきものが少しだけ見えてくる。それはとてもとてもささやかな気付きだから、どうでもいいと思えばすぐに消え去る。他人に相談しても伝わらないようなもの。この(クールミントガムの)リニューアルデザインは、それをキメの細かいメッシュで掬い上げるような仕事だったかもしれない。(337ページ)

本の結び。この文も村上春樹と気配が似ているな~。佐藤卓さんの「日常のデザイン」コチラで読めます。

|

« おいしいコーヒーは楽しい | トップページ | ねんりん家のバームクーヘンでCoffee Break »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/114487/10951395

この記事へのトラックバック一覧です: 「クジラは潮を吹いていた」:

« おいしいコーヒーは楽しい | トップページ | ねんりん家のバームクーヘンでCoffee Break »