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2008年5月15日 (木)

「ひとりでは生きられないのも芸のうち」

ひとりでは生きられないのも芸のうち

こんにちは。コニコです。ブログに立ち寄ってくださってありがとうございます。「ひとりでは生きられないのも芸のうち」(内田 樹著、文藝春秋)という本、ご存知ですか。(と内田先生のまえがきのマネ)今日の言葉はこの本の題名そのまんま。

この本は、「内田樹の研究室」ブログ日記からのコンピレーション(編集)ですが、1冊の本にまとまってみると現代日本(だけにとどまりませんが)のさまざまな社会問題が関連付けて考えられて刺激的です。

いつもながらの内田節が適当に聞こえながらも、えぐった意見をグサリ。

つかみの1章に雑誌「CanCam」の話題を持ってくるなんて読ませるテクニックはさすが。

少子化、就労問題、家族崩壊と、とにかく多岐にわたっていろいろな問題を取り上げていますが、印象に残ったのは「グローバル化時代のひずみ―与ひょうのロハス」と「共同体の作法―食の禁忌について」。両方ともアメリカの話題。ふむふむ、アメリカの歴史と戦略を垣間見てしまいました。恩知らずと罪深さ、なんとも殺伐とした感じです。

でも一番気がかりだったのが「縮小する自我という病」でした。コレ、私も最近感じていたことだったのです。限りない”自分探し”は個人の欲望を増大させ、やがて”自分らしさ”というどこかにあるはずのものに自ら絡めとられてしまう病気ですよね。

しかもその自分探しがだんだん若年化している気がするんです。自分のこだわりを自慢するように「わたし、そういうの無理なんだけど」とか「生理的にゆるせない」とかいう会話も、頑なな自我が見え隠れしているよう。

怖いのは内田先生の次の指摘。

「自我の縮小」「自我の純化」の最終的な形態は「自殺」である。

社会から与えられる自分についての外部評価を承認できないせいで、「諸君の評価は私の『自分らしさ』を満たしていない」というメッセージを発信するために、自殺するものがいる。ここではもう「私の存在」さえも「縮小する自我」の「自分らしい」メッセージの運搬具として道具的・記号的に利用されているのである。(中略)生きている自分より死んだ自分のほうが「より自分らしい自分」であるというこの自己意識の転倒は「自我への執着」がもたらす、痛ましいけれども、論理的帰結なのである。(本文251ページ)

今生きている自分に折り合いをつけて適当に、そう内田先生のようにいきましょう。コニコも適当にやっていきます。

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コメント

cancer tulip
はじめまして。

北国も春爛漫、百花繚乱の季節となりました。
最近、「死にたい」という人が急増しているように感じていますね。

投稿: 春野太郎 | 2008年5月15日 (木) 22時16分

春野太郎さん、はじめまして。コメントありがとうございました。

投稿: コニコ | 2008年5月15日 (木) 22時52分

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