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2008年9月28日 (日)

「恋愛哲学者モーツァルト」

恋愛哲学者モーツァルト (新潮選書)

三浦雅士がどこかで「21世紀になったいまもなおモーツァルトは我らの同時代人」といっている。時を超越したモーツァルトの音楽はいつの時代でも「我らの音楽」になってしまう凄さがある。

岡田 暁生は、そのモーツァルトの音楽の、オペラの部分を音楽の垣根を超えて語っている。題して「恋愛哲学者モーツァルト (新潮選書)」。

5章仕立ての構成は、モーツァルトのオペラに合わせてもの。これは面白いとひざを打ったのは、第2章「愛の勝利―『後宮からの逃走』と青春の輝かしき錯覚」と第4章「悪人は恋人たちの救世主―『ドン・ジョバンニ』と壊れた世界」。

たとえば、第2章の中で語られる「恋愛結婚の成立過程」では18世紀までのヨーロッパの結婚観がそれ以降とどう違うかうかがえる。

まず結婚についていえば、興味深いことに、18世紀になるまで愛と結婚を結びつける考え方はほとんどなかったらしい。(中略)「愛が高まって結婚に至る」などという考え方は論外であって、自分の妻を愛するなど滑稽と考える傾向すらあったらしい。(本文60ページ)

「妻を愛するのが滑稽」だなんて、ちょっと、ちょっとだが、身分の高い貴族などの間では形だけという政略結婚が当たり前だったのだろう。これが18世紀末の大きな社会的変動、フランス革命(1789―1799)やイギリスの産業革命(1770―1830)の市民のエネルギーが爆発する出来事をきっかけに”恋愛結婚の時代”へと移り変わっていくこととなる。モーツァルトもジェイン・オースティンもこの時代の空気を吸って作品を作っていった人だ。価値観のせめぎあいを「フィガロの結婚」や「Pride and Prejudice」で描いている。(突然オースティンが登場したので驚かれるかもしれないが、わたしはオースティンも実は好き。彼女はモーツァルトと16年重なって同時代を生きている。)

さらに宗教の問題も絡んで恋愛結婚は不貞の問題へ・・・

恋愛/結婚観には明らかに地域ごとの違いがあって、フランスを中心とするカトリック圏の貴族文化では結婚と愛を分離しようとする傾向が強く、それに対してプロテスタント圏では情愛を結婚の基盤とする考え方がかなり早くから出てきた。ルソーの「新エロイーズ」(1761年)において、ジュネーヴ出身の主人公サン=プルーは、恋人ジュリーに宛てた手紙の中で、パリの風俗について次のように書いている。「結婚とは同棲すること、同じ姓を名乗ること、同じ子供たちを認知することに同意するが、なおその上にお互いに対するいかなる種類の権利をも持たない2人の自由な人間の協約としか見えません。ですから、この国で夫が妻の不行跡を取締るような真似をしようものなら、ちょうど我が国で妻の公然の乱倫を忍ぶような夫に劣らず非難の声を世間に立てさせることでしょう」。カトリック圏における「妻の不貞を騒ぐ夫」は、プロテスタント圏における「妻の不貞に耐える夫」と同じくらいスキャンダラスだという比較の仕方が面白い。(本文60ページ)

そうか、だからフランス映画に不倫が多いか、などなど読んでいていろいろな考えがあふれてくる。

「ドン・ジョバンニ」の章もモーツァルトのオペラだけでなく、多面的展開でキルケゴールからカミュ、フランシス・コッポラ(映画「ドン・ファン」を製作)まで幅広く見渡せる。

モーツァルト好きだけでなく、文学好き、哲学好きにも岡田節は心地よい刺激を与えてくれるはずである。

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