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2009年1月31日 (土)

原書「The Rich Boy」

The_rich_boy 1月は「行く」というように月日の経つのは早いですね。今日は31日、月末になりました。恒例の「原書でキャンペーン」、今月はフィッツジェラルドの「The Rich Boy」です。

長編と呼ぶには短く、短編というには長いのだけれど、主人公のアンソン・ハンターのことを語るにはなんと丁度いい長さなのだろうと思った。

書き出しの口調と友人という語り手という点で「グレード・ギャツビー」を彷彿させる。この小説は、「グレート・ギャツビー」をつくる上で、創作されたスケッチのような粗さが魅力なのかもしれない。タイトルもストレートに「The Rich Boy」と言い切っている。(ちなみにこれまで翻訳されたもののタイトルには、微妙に違いがある―「金持ち階級の青年」、「金持の御曹子」、「リッチ・ボーイ(金持の青年)」、「裕福な青年」、「金持の青年」、「富豪青年」)お金持ちの素行、ふるまい、そして恋愛は時として過剰で溺れるほどだ。

ふつうだったら、そんなお金持ちの男の話にへきへきしてしまいそうだが、フィッツジェラルドの文章の流麗さにともかくうっとりしてしまう。たとえばこんな風に

They came to resent any interruptions of it, to be unresponsive to facetiousness about life, even to the mild cynicism of their contemporaries.  They were only happy when the dialogue was going on, and its seriousness bathed them like the amber glow of an open fire.  Toward the end there came in interruption they did not resent-it began to be interrupted by passion.

二人はやがて誰かに水をさされるのを嫌うようになり、人生の愉快な面やら、あるいは同世代の仲間たちの罪のないシニシズムに対して反応を返さないようになった。会話を続けている時だけ二人は幸せであった。二人はまるで暖炉の火の琥珀色の照りかえしを浴びるみたいにその真摯さの中に浸った。話の終わり頃になると二人の会話に邪魔が入ったが、彼らはそれを進んで受け入れた。胸の高まりによって、会話が途切れるようになってきたのである。(「ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック」村上春樹訳 263ページ)

村上春樹訳も素晴らしいが、やっぱり原文の流れるような文の響きにはかなわない。この流れにのって「Babylon Revisited」も読んだ。なんともいえない喪失感と哀切のある文。2つの小説で印象的だったことばは―dissipate〈時間・金など〉を浪費する、〈財産など〉を食いつぶすというという意味)フィッツジェラルドとアメリカ1920年代の、あふれる富を使い果たしたよう夢の哀愁をたたえた孤独感―切なくなる。愛おしくなる。その文は、読者を虜にする磁力に満ちていた。

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