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2009年6月23日 (火)

「1Q84」(ネタバレあり)

1Q84 BOOK 1

1Q84 BOOK 2 「1Q84 BOOK 1 」(554ページ)と「1Q84 BOOK 2」(501ページ)を合わせると1055ページにもなる長編。はたしてその物語は・・・。

不思議な能力を持った殺し屋、青豆という女性と、小説家のたまごである天吾という男性が1984年というかつてあった時から、何らかの意思によって運び込まれた新しい謎めいた「1Q84」という世界で出逢おうとする話し。「1Q84」の”Q”は、青豆が「(その時が)疑問を背負っている意味として―question markのQだ。」といっている(BOOK1の202ページ)。

もちろん、このタイトルで思い浮かぶのがジョージ・オーウェルの「1984」だ。オーウェルは「1984」を1947年に近未来を予測して時代の脅威となるビッグ・ブラザーなるものを登場させ、つねに監視されたすさまじい社会を描いていた。それに対して、この「1Q84 」は2009年という今から、近過去である1984年という時代に遡ってお話しを語っている。ただし、そこにあるのはパラレル・ワールドとしての別世界ではなく、見える人だけにわかる「1Q84」という世界が提示される。ビッグ・ブラザーのパロディーのようなリトル・ピープルというミステリアスなこびとたちも登場する。

この物語の全体の構造は、2つの価値というか、一見矛盾しているような2つのもののバランスをいかに保つかというところにかかっている気がする。第一がBOOK1,2と2つに分かれていること。BOOK1はサスペンス色が強く、こちらを”動”の読書とするとBOOK2は観念的な文が多く、一気に謎を深めていく”静”の読書となる。(今のベストセラーという状況で春樹ファンでない人が読む場合、BOOK2はかなりきつい読書になるのでは?)

さらに目次をみると、BOOK1,2ともに「青豆」と「天吾」が代わる代わる語られる章立てになっていて、それぞれ24章になっている。これは、文中にも出てきたバッハの『平均律クラヴィーア曲集』の第一巻24曲と第二巻24曲を想定したものだろう。女性の青豆、男性の天吾が前奏曲とフーガのように、そしてそのメロディーは長調と短調のようにバランスを保ちながら、収斂していく。

そしてお話しの大きな山場となるカルト集団「さきがけ」のリーダーの言葉がひじょうに暗示的だ。そこには人間の善と悪のバランスが語られている。少し長いが引用してみる。

「光があるところには影がなくてはならないし、影のあるところには光がなくてはならない。光のない影はなく、また影のない光はない。(中略)

 リトル・ピープルと呼ばれるものが善であるのか悪であるのか、それはわからない。それはある意味では我々の理解や定義を超えたものだ。我々は大昔から彼らと共に生きてきた。まだ善悪なんてものがろくに存在しなかった頃から。人々の意識がまだ未明のものであったころから。しかし大事なのは、彼らが善であれ悪であれ、光であれ、影であれ、その力がふるわれようとする時、そこには必ず補償作用が生まれるということだ。この場合、わたしがリトル・ピープルなるものの代理人になるのとほとんど同時に、わたしの娘が反リトル・ピープル作用の代理人のような存在になった。そのようにして均衡が維持された」(BOOK2 275ページ)

善だけをみることも、悪だけを取り除くことも実は不可能で、この2つ―善と悪がバランスを保っている時、世界はひとつのものに覆いつくされることなく動いていくことができる、そんなことをいっているのだろう。ここで、強烈に思い出す本がオウム真理教、サリン事件を扱った村上春樹の『アンダーグラウンド』と『約束された場所で―underground 2』だ。彼は事件の被害者と加害者の両方の側からインタビューを行なっている。膨大な時間をかけて丹念に書いた2つの本は、10年前のもの。村上春樹には圧倒的なテロ、サリン事件をフィクションとして書くのに10年の月日が必要だったと思う。そこから、この善と悪の均衡という考えが生まれたのではないか。

後半、2つの大きな核―リトル・ピープルを呼び覚ました”ふかえり”と呼ばれる女の子がパシヴァ(perceiver)であり、天吾がレシヴァ(receiver)であるとクライマックスで描かれる。

そしてマザ(母)とドウタ(娘)との対比、天吾(息子)と父親との確執。文中に出てくる物語も二つ―『空気さなぎ』と『猫の町』。2つの均衡というモチーフが繰り返される。

やがて青豆と天吾は10歳の時深い絆を結んだことが明かされ、二人の運命は「1Q84」の世界で再び大きな曲がり角にたたされることになる。謎の宗教団体「さきがけ」のリーダーは、青豆にこんな言葉を残す。印象的だ。

「1984年も1Q84年も、原理的には同じ成り立ちのものだ。君が世界を信じなければ、またそこに愛がなければ、すべてはまがい物に過ぎない。どちらの世界にあっても、どのような世界にあっても、仮説と事実とを隔てる線はおおかたの場合目には映らない。その線は心の目で見るしかない。」(BOOK2 273ページ)

「1Q84」の世界では空の月も2つ。ラスト近くで青豆と天吾が別々に同じ月を見上げ、お互いのことを想うシーンは、幻想的で透明な風に吹かれているようだ。

読後感は、謎に包まれた世界を迷いながら通り抜けた気分だ。そこには影を秘めた光が確かにあった。

●関連記事はコチラ→「バッハ『平均律クラヴィーア』と『1Q84』」

「『平家物語』と『1Q84』」

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コメント

下巻70項からのH&K「拳銃」の作動・操作方法の描写は違います。
「空のマガジンが装填されていなければスライドはオープン保持しません」

投稿: THE_SUNNE | 2009年10月25日 (日) 07時55分

THE SUNNEさん、こんにちは。拳銃のエキスパートでいらっしゃるのですね。拳銃の操作はきっと型によってさまざまなんでしょう。専門的ご指摘、ありがとうございました。

投稿: コニコ | 2009年10月25日 (日) 11時12分

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