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2009年6月 3日 (水)

「なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日」

なぜ君は絶望と闘えたのか

 裁判員制度が始まる今、目に留まったのがこの本、「なぜ君は絶望と闘えたのか」(門田 隆将著、新潮社)。

1999年4月14日に起こった光市母子殺害事件の被害者家族である本村洋が事件後どう生きてきたかの記録です。

事件前の、学生のような雰囲気の残る23歳の青年と妻と子どもの写真が本の扉にあります。そして流れた約10年の月日が彼だけの人生でなく、多くの人の人生と司法のあり方までを変えていく軌跡だったと、いまさらながら知りました。

この事件の焦点になるのは、少年法の縛りと死刑のあり方でした。一審の山口地裁、二審の広島高裁とも無期懲役。一転して最高裁での差し戻し判決。そして2008年4月に広島高裁で犯人に「死刑判決」が言い渡されたという経過があります。

犯人Fは事件当時18歳だったそうです。少年法によると

家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が当該事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない (61条) 。

ということで、犯人の実名は載っていません。事件を担当した奥村刑事が、事件直後の本村氏に「少年法のことはわからない。この本を読んで、一緒に少年事件や少年法のことを勉強しよう」(81ページ)と伝えています。犯罪を犯した未成年者は、少年法に二重、三重に保護されていて裁判も行なわれることなく終わってしまうということもあるというのです。渡された本は1997年に起こった神戸の酒鬼薔薇事件の被害者・土師淳(はせじゅん)君の父親である守氏が書いた「淳」という本です。そして本村氏は、この著者である土師氏から少年法を知っただけでなく、彼と被害者の遺族としての気持ちを理解し合うことになります。少年法の縛りの影で、被害者の家族の権利はどういうものであるのか―被害者の家族の苦しみが大きな支援の輪となって拡がっていったことも知りませんでした。

そして本村氏をはじめ検察が犯人に求刑したのは死刑。

本村は、死刑制度というのは、人の生命を尊いと思っているからこそ存在している制度だと思っている。残虐な犯罪を人の生命で償うというのは、生命を尊いと考えていなければ出てくるものではないからだ。(237ページ)

長い月日を悩み苦しみながら勝ち取った判決後に本村氏が感じたことが書かれています。この考えに対して、この判決までの、「死刑制度廃止ありき」だけを前面に打ち出した弁護団のやりようは唖然とするものがありました。私自身、日本で死刑制度があるのがいいかどうかは結論のでない問題ですが、この本の第11章「『死刑』との格闘」の本村氏の体験にはひじょうに真摯なものが感じられました。それは、アメリカ・テキサス州にある『ポランスキー刑務所」のナポレオン・ビーズリーという死刑囚と面会した時のことです。

 本村が思い出すのは、「自分は、死刑という判決を受けてから全て変わった。そこから命について深く考えるようになった」というビーズリーが遺した言葉である。

 死刑という刑罰は、やはり、その判決を受けた者にとって、つまり、人を殺した人間に対して、反省するきっかけを与えるものだと思った。(163ページ)

この本のエピローグでは、著者門田氏が27歳になった犯人Fに面会した時のことが載っています。「殺めた命に対して、命をもって償うのはあたりまえのこと」とFが言った言葉は、門田氏が本村氏から何年も聞き続けてきたものという事実。事件当時、反省も贖罪の気持ちもなかったのではと思われたFが、自らの死と向き合うことで、この償いという気持ちが生まれたのかどうか、わかりません。

いろいろなことを考えるきっかけになる本です。今、この本を閉じて思うことは、妻を亡くし、幼い娘を奪われた本村洋氏が「事件から家族を守れなかった」という絶望から少しでも解き放たれ、これからの人生を歩んでいってくれたらということです。

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