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2009年7月26日 (日)

「死神の精度」

死神の精度 (文春文庫)

「重力ピエロ」が面白かったので、伊坂幸太郎の「死神の精度 (文春文庫)」(文藝春秋)を読んでみました。

6話完結の短編ですが、全部読み終わるとゆるやかにつながっていて連作の趣きです。

何といってもこの小説の魅力は死神の人物造形(っていっても死神は人間じゃないから神造形かしら)とその人物設定。

死神は、”1週間の調査”のために人間界に遣わされる。その仕事は死予定者リストのひとりを担当し、1週間という時間をかけて「可」(死の判定)か「見送り」(とりあえず今は死にことはない)かを決めること。たいてい死神は、「可」、つまり”死”の調査部に報告し、8日目に彼または彼女の死を見届けて仕事は終わる・・・そんな設定で、章ごとに”千葉”という人間の仮名を持った死神が6人の人間の生死を見届ける話です。

「人間は『必ず死ぬ』という大事なことを忘れている」という死神の言葉が何回か出てきます。人間、本当にとりあえず元気でいると、”今は死なない”がいつのまには”わたしは死なない”という錯覚を抱くようになるものです。この短編は死に無自覚な人間の最後の1週間を追っているわけですが、読んでいるうちに不思議な感覚にさせられるお話です。なぜ不思議かというと、読み手は、死神の視点から死ぬであろう人間をみているわけです。「もうすぐ死んでしまうのに、そんなことをしていていいの?」と思もうわけですが、当の読者も人間であるので、お話の中の人間と同じくらい”今は死なない”と思ってのんびり(でもないけど)本を読んでいるわけです。

この本の不思議な魅力のもう一つは、死神の人柄(これも神柄というのかしら)ですね。「ファウスト」のメフィストフェレスも悪魔なのに、なんだか憎めないところがありますが、この”死神・千葉さん”も、人間くさいところがあって憎めません。いわゆる”雨男”で飄々ととぼけたところがあり、わからないことばが出てくると恥ずかしげもなくズバリと聞くところもユーモラスです。たとえばこんなところ。

 私は、彼のその様子をじっと眺めながら、そう言えばこういう状態にある若者を今までに何人も見かけたことがあったな、と気づいた。煩わしいくらいに、高揚と落胆を繰り返し、無我夢中なのか五里霧中なのかも分からなくなる。病とも症候群ともつかないが、とにかく面倒くさい状況に、溺れそうになっている。「それはあれか」記憶を引っくり返し、「かたおもい、というやつか」と言ってみる。(163ページ)

「重力ピエロ」でも引用したくなる言葉がわんさかありましたが、この「死神の精度」でもこころに残る名セリフが多くありました。中でも最後の短編「死神対老女」のこのセリフ。

「そりゃ、死ぬのは怖いけどさ」と恐怖の欠片も滲まない口調で続け、「もっとつらいのは」と首を振った。「まわりの人間が死ぬことでしょ。それに比べれば自分が死ぬのはまだ、大丈夫だってば。自分の場合は、悲しいと思う暇もないしね。だから、一番最悪なのは」

「最悪なのは?」

「死なないことでしょ」(316ページ)

文庫本の巻末解説は沼野充義氏。この解説を読めばもうこの本と伊坂幸太郎の魅力を余すところなく書いてくれているので、これ以上、私があれこれいうことはないのですが、特に「本当にそうだな」と思ったのが、”異化”のくだり。”異化”とは「非日常的な視点からものを見ることによって、普通のものを見慣れない、奇妙なものにしてしまうという手法」(341ページ)ということです。まさにこの”異化”の効果が、この小説では死神というものに担われているわけです。

この夏、帰郷の電車の中などでの読書にピッタリの本かと思います。

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