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2009年9月23日 (水)

「グレート・ギャツビー」読書会(9)

 Pap_0007_2                          すっかり遅くなってしまいましたが、9月「ギャツビーの読書会」は、いよいよギャツビーとデイジーがニックの家で対面する場面です。今回はその後、ギャツビーがデイジー、ニックを自分の邸宅に案内するところまで読みました。                                             

デイジーと会うまでのギャツビーは、こちらも恥ずかしくなるくらいの狼狽振りを示しています。子どもが初恋の女の子の前でもじもじするような様子も、ニックが席をはずしデイジーと半時ほど二人きりになった後、極端に変貌してしまいます。「ちょっとどうしたの~!」というくらい、あっけにとられてしまいます。ここのギャツビーの描写が面白いですね。後光がさしているようです。

But there was a change in Gatsby that was simply confounding.  He literally glowed; without a word or a gesture of exultation a new well- being radiated from him and filled the little room.

しかしギャツビーの遂げた変化には、ただ目を見張るばかりだった。彼は文字どおり光輝いていたのだ。歓喜の言葉も身振りもなかったものの、新たに生じた幸福感が彼の身中から光線となって発し、その狭い部屋にまばゆく充満していた。(「グレート・ギャツビー」村上春樹訳 144ページ)

そしてそんなギャツビーに大仰に呼応するデイジーの声、"I'm glad, Jay."  Her throat, full of aching, grieving beauty, told only of her unexpected joy. 「嬉しいわ、ジェイ」、悲しく痛ましいまでの美に満たされた彼女の喉が語っていたのは、彼女自身の思いも寄らぬ喜びについてでしかない。(同上)この形容詞の使い方、フィッツジェラルドらしい!

さてさて、すっかり追憶にひたった後、ギャツビーのお屋敷めぐりに行くわけですが、家の中がまたブランド趣味、成金趣味でいかにもお金に物を言わせて目利きの人を雇って飾った感じです。それが一番よく表現されているのがさまざまな種類のシャツを取り揃えているお部屋で、そのシャツを披露する場面。今でいう有名ブティックそのまま大人買いした感じです。映画でも印象に残るシーンでした。そして、その拡げたシャツに顔をうずめてすすり泣くデイジーがなんとも贅沢を愛する女性、アメリカ消費社会の権化のように感じてしまいます。こんなセリフをいうのですから。

"They're such beautiful shirts," she sobbed, her voice muffled in the thick folds.  "It makes me sad because I've never senn such―such beautiful shirts before."「なんて美しいシャツでしょう」と彼女は涙ながらに言った。その声は厚く重なった布地の中でくぐもっていた。「だって私―こんなにも素敵なシャツを、今まで一度も目にしたことはなかった。それでなんだか急に悲しくなってしまったのよ」

その後、家の外、デイジーの家のある対岸、イースト・エッグを眺めるシーンで、ギャツビーがデイジーという存在をどう考えているかが垣間見られる気がしました。生身のデイジーが思わずギャツビーの腕に自分の腕を絡めた時、彼はデイジーの存在を意識するより、彼が口にした言葉に深く囚われていたのです。

"If it wasn't for the mist we could see your home across the bay," said Gatsby.  "You always have a green light that burns all night at the end of your dock."

「霧さえでていなければ、湾の向かいにあなたのうちが見えるんだが」とギャツビーが言った。「お宅の桟橋の先端には、いつも夜通し緑色の明かりがついているね」

このgreen lightはギャツビーにとって彼が作り出したデイジーという憧憬のシンボルであり、リアルなデイジーがそばにいても彼のイメージとしてのデイジーに囚われているという点はこれからの展開に重要になってきます。そんなギャツビーの抱くデイジーのイメージとは対照的に、この章ではデイジーの俗物的な発言が散りばめられてもいます。

ギャツビーとデイジーの距離は物理的には近くなっても、実は大きな心象の隔たりもちらりと見え隠れして、次回はどうなりますか、楽しみです。

追伸:読書会で、村上訳が誤訳ではないかと問題になったところ、ご意見があったらお聞かせください。デイジーがギャツビーの若い時のヨットに乗っている写真をみて、

"The pompadour! You never told me you had a pompadour―or a yacht."

というところ。「この髪型!あなたが髪をすっかりバックにしていたなんて知らなかったわ。それにヨットのことも」(同上151ページ)となっています。他の訳本では、このpompadourというのはヨットの種類としていますが、はたしてこれは髪型なのか、ヨットの種類のことなのか?Googleでポンパドールというヨットの種類があるか調べたところ、見当たりません。私としては、正式なヨットの種類ではなく、デイジーのことだからヨットのことを、ただ気取った名前で呼んでみただけかなと思っているのですが、いかがでしょうか?

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