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2009年10月29日 (木)

「グレート・ギャツビー」読書会(10)

グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)

ギャツビーを読書会で読み始めてから1年以上経ちましたが、精読の大切さを実感するこの頃、あせらずじっくりと読んでいこうと思います。

さて、今回の読書会の話に入る前に、本屋さんで新しい翻訳をみつけたのでちょっとお知らせします。

グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫)」(F.スコット フィッツジェラルド著、光文社)
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翻訳は、小川高義さん。ジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」の名訳で知られた方。「ポー、命日」の時にも「黒猫」の翻訳はこの方のもの。村上春樹訳のあとに新訳と銘打って訳されたものに興味津々です。こちらと村上春樹訳との比較は次回からということにして、本題へ。

5章のラストから6章のはじめまで、約5ページを読みました。

特に5章の最後から数えて3パラグラフ目、As I went over to say goodbye から始める部分は特に注目箇所。

Almost five years!  There must have been moments even that afternoon when Daisy tumbled short of his dreams-not through her own fault but because of the colossal vitality of his illusion.  It had gone beyond her, beyond everything.  He had thrown himself into it with a creative passion, adding to it all the time, decking it out with every bright feather that drifted his way.  No amount of fire or freshness can challenge what a man will store up in his ghostly heart.

なにしろ5年近くの歳月が経過しているのだ!デイジーが彼の夢に追いつけないという事態は、その午後にだって幾度も生じたに違いない。しかしそのことでデイジーを責めるのは酷というものだ。結局のところ、彼の幻想の持つ活力があまりにも並外れたものだったのだ。それはデイジーを既に凌駕していたし、あらゆるものを凌駕してしまっていた。彼は想像的熱情をもって、その幻想に全身全霊を投じていた。寸暇を惜しんで幻想を補強増大し、手もとに舞い込んでくる派手な羽毛を余すところなく用いて日々装飾に励んできたのである。いかに燃えさかる火も、いかなる瑞々しさも、一人の男がその冥府のごとき胸に積みあげるものにはかなわない。(村上春樹訳 155ページ)

ギャツビーの、幻想を夢みる執念のようなものを感じるところです。リアルなデイジーを越えた幻想の中のギャッツビーが年月をかけて作り上げたhis Daisyは、本当に巨大なものに成長していき、彼のこの世のものならぬこころ"ghostly heart"に住んでいるのでしょう。

リアルなデイジーはこうしてギャツビーの幻想デイジーに及ばないものになっているのですが、ただ面白いのは彼女の声だけは"deathless song"(永遠の歌)だといっているのです。デイジーの声については1章からくわしく描写され、彼女の大きな魅力になっていました。

そして6章でいよいよギャツビーの本当の過去が明らかになっていきます。ギャツビーの本名、と言いかけてニックは”少なくとも法的名前は”と言い直してJames Gatzと言っています。この章のはじめから数えて7つ目、But his heart was in a constant, turbulent riot.で始まるパラグラフでも、若かりし頃からギャツビーの幻想が限りなく膨らんで彼の取り巻く世界、宇宙まで埋め尽くしてしまう様子が描かれています。

For a while these reveries provided an outlet for his imagination; they were a satisfactory hint of the unreality of reality, a promise that the rock of the world was founded securely on a fairy's wing.

そのような夢想が彼の想像力にあるところまではけ口を提供してくれた。現実というものの非現実性について、それは納得のいく示唆を与えてくれた。世界の礎は間違いなく妖精の翼の上に据えられているのだと請け合ってくれた。(同上 160ページ)

先日の平野啓一郎氏の対談講演で、彼が、小説には読み手がどんどんページをめくっていくお話をすすめる部分と、反対に読み手が立ち止まって深く語り手のことばを考える部分があるといっていましたが、今回読んだ部分は、間違いなく後者でした。こういう部分はとても速読というわけにはいきません。ギャツビーという人間がどういうふうに作られていったかが語られる大事なところでした。

ところで、前回問題になった”ポンパドール”の訳ですが、これはオールバックにした髪形、つまり村上春樹訳に軍配が上がりました。ネイティヴに聞いたり、さらに調べたりしてヨットではなさそうだということになりました。ちなみに小川高義さんの訳でも髪型でした。

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コメント

コニコさんが主宰されている読書会、どれも面白そうで、東京に住んでいたらぜひ参加してみたいものばかりです。「グレート・ギャッツビー」は去年読んだのですが、このようにほかの人たちと丹念に読んでいくと、新しい発見や読み方があって、いいですよね。引用されている箇所、改めて読んでみると、去年読んだときは、なんだか分からないまま読み過ごしていたように思います。参加されている方たちは、コニコさんのお友達でしょうか?それともどこかで募集されて、集まった方たちなのでしょうか?いずれにせよ、そんな読書会にあこがれをもってしまいます。これからも楽しみにしていますね!

投稿: michi | 2009年10月30日 (金) 19時00分

michiさん、こんばんは。

この英語の原書を読む読書会はもう始まってから5年も経つんですよ。友だちの輪が拡がって、今は大体8名くらいでやっています。最近になってこうして拙ブログにアップするようになって、記事を読んでくれた方がコメントしてさると読書会はネットでも出来るという気になります。
是非これからも読書会のまとめにご意見くださいね。

イギリスではフィッツジェラルドってどのくらい読まれているんでしょうね。ちょっと興味がありますhappy01

投稿: コニコ | 2009年10月31日 (土) 23時36分

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