« 風邪にKitKat サクラでホット | トップページ | 「ジェイン・オースティンとイギリス文化」をラジオで♪ »

2010年3月29日 (月)

「グレート・ギャツビー」読書会(15)

風邪もぼちぼち治ってきたので、4月にならないうちに読書会のまとめを書かなくては。

ギャツビーの読書会も、終盤に入り、あと何回かでおしまいです。今回は、トム、ニック、ジョーダンがウィルソンの事故現場から去り、トムの家に着いたところから、8章のはじめ、回想でデイジーがトムと結婚することになるというところまでを読みました。

7章の終りには実はマートルをひき逃げしたのがギャツビーではなく、デイジーだったことが明らかになります。そのことを語るギャツビーの関心事はただ一つ、デイジーが大丈夫かどうかということだけ。ギャツビーには、実際のデイジーが人をひき逃げしようとも、彼の中のデイジーを見守ることを決してやめようとはしないし、そうすることが彼の人生の最優先であるかのようです。イメージとしての理想のデイジーを追い求めることが、もはや彼の確固たる生きる信念になっているのでしょう。

ここで、私が注目したいのはニックの態度です。トムの家に着くついちょっと前まで、ジョーダンのことを憎からず思っていた彼は、彼女の無神経な誘いが耐えられなくなり、トムの家に入ることを断わります。そこには、ジョーダンが、トム、そして実際のデイジーと同じ側の“insensitive(無神経な)”人々に感じられて、うんざりしている様子がわかります。そして、そこにあらわれたのが、デイジーを見守るギャツビー。イメージや過去に囚われたギャツビーではあったのですが、彼の姿にニックは心を打たれています。ニックは、デイジーの様子を探りに家の方に近づきます。

そこでニックが見たトムとデイジーは向かい合わせに座って、トムが熱心に話してデイジーが同意しているようにうなずいている姿だったのです。その描写が2人の関係を鋭く表わしています。

 They weren't happy, and neither of them had touched the chicken or the ale―and yet they weren't unhappy either.  There was an unmistakable air of natural intimacy about the picture and anybody would have said that they were conspiring together.

彼らは幸せそうには見えなかったし、二人ともチキンにもエールにも手をつけなかった―とはいえ、どちらもとくに不幸とも見えなかった。その構図には、見違えようもない自然な親密さがうかがえたし、それを見た人は誰しも、この二人は今何ごとかを共謀していると考えたことだろう。(「グレート・ギャツビー」村上春樹訳233ページ)

マートルに死なれて泣いていたトムも、ギャツビーの想いを考える余裕さえないデイジーも、この場では自分たちのためだけに今までのことを不問としようという雰囲気です。プラザホテルの大騒ぎも何だったんでしょうと言いたくなります。そんな二人の語らいの外では、ギャツビーが寝ずの番で夜を過ごしていたのです。

8章は、ニックの悪夢からはじまります―“grotesque reality and savage frightening dreams (グロテスクな現実と残虐で恐ろしい夢)”。ギャツビーの想いが現実の残虐さに侵されていく前触れのようです。ニックはたまらなくなり、ギャツビーのもとに駆けつけ、一緒に朝を過ごすことになります。そこで、ギャツビーが語ったのも、すべてデイジーとのこと。はじめての出会いから別れまでが美文調で綴られます。デイジーの家の描写も、性の秘密めいた香りがただよい、甘く回想シーンへと読み手を誘います。

「地位も財産もないギャツビーがお金持ちのデイジーをものにした」というところがあったのですが、読書会で問題になったのが、ギャツビーとデイジーが肉体関係があったかどうかでした。結論からいえば、どちらにしても恋におちた二人が結婚したいと思っていたのには違いなかったのですが。はたして1920年代のアメリカの女性の意識がどうだったかは、興味深いところです。ちょっと調べたところでは、ヴィクトリア時代の窮屈な道徳観の反動で、女性がそれまで締め付けられていたコルセットを脱ぎ捨て、スカートの丈も短くして、髪型もショートボブが流行。第一次世界大戦が終わり、無傷のアメリカのこの時代は、好景気と車などの大量消費文化に後押しされて“浮かれた時代、狂騒の20年”とも呼ばれたわけです。そして、その少し前までは、女性がタバコもお酒も飲むというのははしたなかったのが、めずらしいことではなくなっていったようです。そういえば、デイジーもタバコを吸っていましたね。ギャツビーのパーティーでは泥酔する女性も出てきていましたし。その時代の空気の中では、セックスも開放的になって婚前交渉もタブー視されてはいなかったとも考えられるでしょう。ということで、たぶんギャツビーとデイジーは肉体的にも結ばれていたらしいと推測できます。でも、これって、想像の域を出ないわけで、読み手にいろいろ考えさせる書き方こそ名作の所以。

さて、話を8章にもどして・・・ギャツビーが戦場に送られていた時、待ちきれないでいたデイジーが“Beale Street Blues”を聞きながら、次なる恋の相手を探していたんですね。その曲が今日の最初に載せたYouTubeの歌です。その当時の雰囲気をちょっと感じられるかもしれません。

さてさて、次回の舞台は再びニューヨークへ。サスペンスのように時が刻まれていきます。

|

« 風邪にKitKat サクラでホット | トップページ | 「ジェイン・オースティンとイギリス文化」をラジオで♪ »

英米文学」カテゴリの記事

原書でキャンペーン」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「グレート・ギャツビー」読書会(15):

« 風邪にKitKat サクラでホット | トップページ | 「ジェイン・オースティンとイギリス文化」をラジオで♪ »