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2010年3月 5日 (金)

「フェルメールの受胎告知」

フェルメールの受胎告知

「絵の前に一人きりでたたずみ、そこで何が起こるかをじっと待つという孤独な経験を愛するすべての人々のために、私はこの本を書いた」という著者のシリ・ハストヴェットは、アメリカの小説家であり、類いまれなる美術愛好家です(小説家のポール・オースターの奥さんで、美男美女のカップル)。

原題は「Mysteries of the Rectangle: Essays on Painting」でそのまま訳せば「矩形の謎 絵画のエッセイ」となるでしょうが、邦題は「フェルメールの受胎告知」。フェルメール好きな日本人には、この題名の方が目を引きますよね。もちろん、この邦題が示すようにフェルメールの絵「真珠の首飾りをもつ女」の謎が語られています。

著者:シリ ハストヴェット
販売元:白水社
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内容は9章に分かれていて、ジョルジョーネ、フェルメール、シャルダン、ゴヤ、ジョルジョ・モランディ、ジョーン・ミッチェル、ゲルハルト・リヒターの7人の絵について丹念な分析と彼らの絵に対する深い愛情が表現されています。

特に印象深かったのが第5章「肉体が語る ゴヤの《ロス・カプリョス》」。いままで不気味で丹念にみるなど私には考えもしなかった80点の版画が、謎は謎のままなのですが、それらの語る声を著者は感じ取り、分析しています。そして、この版画を“覚醒と眠り”という視点から考察しているのも鋭いところです。つまりゴヤは、無意識(眠り)からさまざま怪物を生み出し、覚醒時には社会風刺を描いているという点。版画の中にもズバリ「理性の眠りは怪物を生む」(1799年)という作品があります。さらに彼が肉体をどう描くかという点に注目したのも面白いところ。

Photo

その他、目からウロコ的な絵画鑑賞があり、今後、絵を観るときの大きな指針となりそうです。

たとえば、シェルダンの静物画を観るときに、ハストヴェットはこんなことを言っています。

あらゆる美術作品と同様、静物画は選別をへて成立する。オブジェのあるものは選ばれ、あるものは捨てられる。アーティストの選択を通して、私の目は新たな焦点を見出す。シャルダンの絵は、私が現実の世界で見たソーセージとナイフのあるテーブルをそのまま映し出したものではなく、むしろその親しみ深い情景を実体のない―幽霊のような―存在へと再生させたものなのだ。美術作品を見る行為は、夢を見ることに似ていて、起きているあいだの生活よりも、もっと精神を集中していることが多い。(中略)見るという行為は、誰かの夢を共有することに少し似ている。なぜなら、静物画に描かれたオブジェは身近な品々―ソーセージ、メロン、鉢、ブーツ―であり、それを絵具に変貌させることで、その日常性が強調されるからである。それらは一つの変貌をへて、高貴なものに変わる。その変貌を私たちはアートと呼んでいるのだ。(88ページ)

また、彼女は、いくら印刷技術が進んだといってもオリジナルを見ることの大切さも強調しています。

実物の絵を見る機会は大事だ。なぜなら、オリジナル作品から発散される光は、印刷では十分に表現できないからである。これらの作品はゆっくりと自らを明かす。長い時間をかけてじっくり見た者には、その苦労が報われる。最後に、それらの作品は、思考と感覚のあいだに驚くべき緊張感を生みだす。(174ページ)

これと同じようなことは、先日行った「等伯展」でも、感じたことです。あらかじめ見ていたチラシに印刷された「松林図屏風」とオリジナルは同じ絵でありながら、オリジナルを見たときの気持ちは特別なものでした。絵の前にたたずんでいると作品は語りかけてくるような気がしました。

美術専門家の妙に学術的な視点ではなく、自分の感性に引きつけてじっくり鑑賞するハストヴェットの姿勢が読んでいてスッと体感できる本でした。

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