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2010年4月30日 (金)

「グレート・ギャツビー」読書会(16)

「ギャツビー」読書会もラスト2となりました。8章の後半から9章はじめの2ページ、ニックが事件後の顛末を回想し始めるところまでを読みました。

今回は、あらすじ的にもクライマックスともいえるところ。運命の日の夜明けから、ギャツビーとニック、ウィルソンの時間が交錯してサスペンスいっぱい。ひじょうに映像的な展開です。

ギャツビー宅で迎えた朝は、前日のあの耐えがたい暑さが去って“涼しげな美しい一日”を約束するはずだったのに。ギャツビーがこの時点でデイジーを思う時、もはや現実のデイジーが自分とは違う世界に生きていることをわかっていたのかもしれません。"In any case, it was just personal."と突然つぶやく彼の言葉には、自分が抱えるこの問題は、過去のデイジーと今も変わらない夢を追い続ける自分の問題なんだと言っているようです。その言葉の後に出てくるギャツビーのルイヴィルへの感傷旅行の話では、デイジーの方が結果的にはギャツビーを捨てて結婚したのに、まるでギャツビーがデイジーを見捨ててしまって、いなくなった彼女を探しているようなシーンが描かれています。ギャツビーも心の奥底では、現実のデイジーが過去のデイジーでなく、すでに過去のデイジーが永遠に失われてしまったこともわかっていたのではないでしょうか。

ギャツビーの大きくなりすぎた夢が、まさに暴力的な形で破壊される瞬間が迫ります。興味深いのは、この話の中で一番力を持たない、まるで幽霊のようなウィルソンが、ギャツビーの夢の破壊―つまりギャツビーを殺すということ―を行ったということです。ウィルソンが殺しに向かう前に、T.J.エックルバーグ博士の目を見て、妻に言った言葉、「神様はお前が何をやってきたか、ごらんになっている。俺をあざむくことはできても、神様はあざむけない。」と口にします。ウィルソンのそんな姿は、まるで青白き殉教者のよう。彼は、妻を殺した人の元へ向かいます。彼の影が忍び寄る中、秋に向かう季節のプールでひとり浮かぶギャツビーが感じただろうことをニックがこんなふうに言っています。

... he must have felt that he had lost the old warm world, paid a high price for living too long with a single dream.  He must have looked up at an unfamiliar sky through frightening leaves and shivered as he found what the scarcely created grass.  A new world, material without being real, where poor ghosts, breathing dreams like air drifted fortuitously about...like tha ashen, fantastic figure gliding toward him through the amorphous trees.

かつての温もりを持った世界が既に失われてしまったことを、彼は悟っていたに違いない。たったひとつの夢を胸に長く生きすぎたおかげで、ずいぶん高い代償を支払わなくてはならなかったと実感していたはずだ。彼は威嚇的な木の葉越しに、見慣れぬ空を見上げたことだろう。そしてバラというものがどれほどグロテスクなものであるかを知り、生え揃っていない芝生にとって太陽の光がどれほど荒々しいものであるかを知って、ひとつ身震いしたことだろう。その新しい世界にあってはすべての中身が空疎であり、哀れな亡霊たちが空気のかわりに夢を呼吸し、たまさかの身としてあたりをさすらっていた…ちょうどまとまりなく繁った木立を抜けて彼の方に忍び寄る、灰をかぶったような色合いの奇怪な人影のごとく。(村上春樹訳 258ページ)

こうして、ギャツビーが思い描いた妄想は、ウィルソンのピストルで壊されます。ギャツビーの夢が壊れた時が彼の命が消えた時だったのです。8章のラスト、プールに浮かぶギャツビーの描写は胸を突かれます。

そして、いよいよ最終章。ニックが2年前のギャツビーとのことを思い出すところは、第1章の時間へとひと巡りしたことがわかります。

ということで、5月は大ラスト。読書会のメンバーと読了した後、ロバート・レッドフォード主演映画『華麗なるギャッツビー」のDVDを観る予定です。

上の映像は、2000年に製作されたテレビドラマのギャツビーです。私はこのドラマをみていませんが、予告のギャツビー役のトビー・スティーブンスが新鮮ですね。

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