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2010年8月29日 (日)

「ボヴァリー夫人」読書会(4)最終回

今年の「世界名作読書会」も今回で最終回です。この酷暑の中、6名が集まり、「ボヴァリー夫人」第3部を中心に語り合いました。

この読書会ではじめて「ボヴァリー夫人」の結末を知った人の中には、あまりの悲惨さに驚きを隠しきれないという人も。私も最初に読んだ時は、3部の急展開―レオンとの不倫、借金地獄、エンマの自殺、シャルルの死―には驚きの連続でした。

今回、再読して思ったことは2点。

まず、エンマは、ただの「青い鳥症候群」の夢見る夢子だったのか?という点。妄想に駆られて自分の想いばかりに囚われているようにみえるエンマのあまりにも激しく生きる情熱は、どこか死を予感させるものがあり、命がけの炎がエンマの中でつねに燃えているようです。自分でも抑えきれない死ぬほどの情熱を抱えたエンマの中には、いつも死に駆り立てられるものがあったように思えてなりません。私は、エンマの生き方を肯定したり、共感したりはできないのですが、こういう日常の倦怠に我慢できず、自ら破滅に向かってしまう、圧倒的なエンマという女性の熱情にすっかり惹き込まれ、夢中になってしまう。エンマにはそんな力があります。

エンマがレオンとの恋に行き詰まり、借金が払えなくなった時、ヒ素を飲むという自殺の手段も、死を賭けて苦しいヒロインを自分で引き受け、演じ切るという覚悟があったのではないでしょうか。実際、フローベールは、エンマがヒ素を飲んで死ぬまでのシーンを“外科のメスの鋭さ”で22ページにもわたって書き記しています。ただの“夢子さん”ではない、命がけの妄想家。フローベールが「ボヴァリー夫人は私だ」というのも、そんなエンマの圧倒的な夢想力をいっているのかもしれません。

そして、もう一つ印象的だったのが、この話の中で一番の転落人生を送ったのは誰か?という点。エンマが2度の不倫の末、借金に首が回らなくなり、自殺してしまったというと、「エンマがいちばん転落人生を送ったわ」と思いがちですが、何といってもいちばん滑稽なほど悲惨で転落人生をおくったのはシャルルでしょう。エンマの死後、シャルルは、石が転がるように堕ちていきます。彼は、エンマの葬式のため花嫁衣装を着せ、悲しみに耽溺し、やがてエンマの裏切りも知り、仕事も捨て、家に引きこもり、死んでいきます。この物語のはじめに、シャルルの少年期が描かれ、彼が「私は道化者です」という文を清書させられたことを思い出します。彼は運命に弄ばれた道化者だった気がします。この小説のタイトルが「エンマ」ではなく、「ボヴァリー夫人」だというのは、フローベールが、シャルルの妻を描くようでいてボヴァリー氏自身、つまりシャルルもしっかり書くという意図があったのではないでしょうか。ちょっと思ったのですが、シャルルの立場から、ボヴァリー夫人を描く小説なんてあったら、面白いかもしれませんね。

読書会では、最後の5ページを皆で朗読しました。その中で偶然シャルルがロドルフに会う場面はなんとも息をのみます。

「私はあなたを恨みはしません」
 ロドルフは黙っていた。するとシャルルは両手で頭をかかえ、弱々しい声で、苦痛に堪えた口調で繰り返した。
「ええ、私はもうあなたを恨んではいません!」
 おまけに、シャルルの生涯を通じてただの一度の名台詞を付け加えた。
「運命のいたずらです!」
 その運命の糸を操った当のロドルフにしてみれば、せっかくのこの名台詞も、シャルルの立場でいうにしてはいくろなんでも間が抜けている、いや滑稽で、いささか卑屈ですらあると思われた。(570ページ)

この語り手の突き放したような書き方がラストまで一気に続き、シャルルの死と、娘ベルトのその後が淡々と描かれています。そして、「オメー氏が勲章をもらった。」という印象的な一文で、この物語は幕を閉じています。

エンマ、シャルルの他にも、運命に弄ばれた人々、特にボヴァリー老婦人やルオー爺さんは、それぞれ子どもに先立たれるという不幸にあい、本当につらい想いをしただろうと切なくなりました。

読書会で読了後、皆に感想をもらった中で、「不倫や借金といった風俗的なテーマの話なのに、なぜか格調があり少しも下世話な感じがしなかったのはなぜでしょうか。これもフローベールの文体のせいかしら?」という意見がありました。人間の本性を鋭い筆致で、時には冷たいメスのように冷静に、時には炎のように熱く描かれた「ボヴァリー夫人」、だからこそ、単なる不倫小説でなく、人間ドラマを描いた奥深いものだったと感じます。今回も名作を堪能いたしました。

読書会と並行してフローベール参考本として2冊読んだものが、とても面白かったのでご紹介しておきます。ともに書店では絶版になっていると思います。図書館などでお探し下さい。

★書簡選集『ボヴァリー夫人の手紙』
 (編訳) 筑摩書房 1986年

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★『果てしなき饗宴――フロベールと「ボヴァリー夫人」』
  筑摩書房 1988年

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コメント

コニコさん、今回も、またまた良い本を読ませていただいて、どうもありがとうございました。楽しかったです。
エンマにばかり気をとられていましたが、たしかにこの小説はシャルルを描きたかったのかも…コニコさんの洞察はすごいですねぇ。
「私は道化者です」と清書させられたシーンも私は忘れていました^_^;
そんなわけで、すっかりコニコさんに頼りっきりのブラボーですが、これからもどうぞよろしくお願いしますm(__)m
リンクさせていただきました♪

投稿: ブラボー | 2010年8月30日 (月) 00時52分

ブラボーさん、こんばんは。今年の読書会も無事、終わりましたね。皆さまのおかげで楽しかったです。なかなか再読も含めてじっくり読みこむことがないので、この読書会は私にとって、とっても大事なものです。

また次回、こちらこそよろしくお願いしますねnote

TBできませんでしたか?

投稿: コニコ | 2010年8月30日 (月) 20時58分

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