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2011年2月13日 (日)

「梅棹忠夫 語る」

梅棹忠夫 語る (日経プレミアシリーズ) 梅棹忠夫 語る (日経プレミアシリーズ)

著者:小山 修三
販売元:日本経済新聞出版社
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ふと目にしたこの本の書評を読んで、この本が「知の巨人」といわれる梅棹忠夫氏を知るきっかけになると思い、手にとりました。字も大きく、強調部分はさらに活字も大きくなっていて、新書版で215ページ、一気に読めました。

恥ずかしい話ですが、梅棹氏の代表的な3大著書、「文明の生態史観」、「情報産業論」、「知的生産の技術」のタイトルも存じませんで、この方は、1974年に創設された国立民族学博物館の初代館長だったんですね(国立民族学博物館では3月10日から6月14日まで「特別展ウメサオタダオ展」を開催予定) 。

この本に通底するものは、ともかく自分で見たもの、自分の足で確かめたもの、オリジナルなものを語ること。生半可な“個性的”とは違う地道で厳しいものを感じました。中でもこんな一節が印象的。

梅棹:自分にとっての第一番は観察記録。これが第一。多くの人がそこをまちがえているね。とにかく、ものを書き写そうとする。みんな他人の本で、大事だとおもうところをカードにして使っている。そんなのナンセンス。すでに本に書いてあることじゃないか。わたしのはちがう。自分の目で見た観察記録。なぜ自分のオリジナルの観察を大事にしないのか。学問といえば、ひとが書いたものを読むことだと思っている。(129ページ)

この文章を引用すること自体、恐れ多いことですが、あまりにも痛烈なのでつい引用してしまいました。

そして、エピローグで語られる心に残ることばがこれ。

梅棹:(対談者の小山氏に、梅棹氏の「宮本武蔵になるな」という言葉の意味を聞かれて)技を磨くのには反対しない。しかし、剣の道は人殺しの技、そんなことに熱中して、他を顧みないというのは、人間としていささか淋しいのやないか。わたしが、山に登り、世界の民族をたずねたのは、デジデリアム・インコグニチ、未知なるものへのあこがれだけやった。(214ページ)

その他、「文章は誰が読んでもわかるように書く」など、当たり前のことをいっているのに学ぶことの多い本でした。通勤、通学などちょっとした時間で通読できるお薦めの本です。

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コメント

梅棹忠夫氏は私にとって青春時代の恩師とも言うべき人です。中学生のときに読んだ「モゴール族探検記」は今でも私の胸の中に鮮やかに残っています。そして、氏の文明論に出会い、またまた感動しました。京都学派の人たちの実証的手法は私の生き方の中に生き続けています。

投稿: essoesso | 2011年5月23日 (月) 23時19分

essoessoさん、はじめまして。
コメントをありがとうございました。

梅棹氏の言葉や考えに若い時に深く触れて、今まで来られたとは、それは素晴らしい出会いであっただろうと思います。梅棹氏について、ほとんど何も知らない私ですが、これから少しずつ読んでいきたいと思います。

投稿: コニコ | 2011年5月24日 (火) 23時33分

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