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2011年5月28日 (土)

「きことわ」

きことわ きことわ

著者:朝吹 真理子
販売元:新潮社
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朝吹真理子さんが「流跡」の後に書いた中編小説「きことわ」―この前の芥川賞受賞作品で話題になりましたが、私の周りで実際にこの作品を読んだ人は少ないです。

さて、どんな小説なのか、一言でいうと“あえかな(たよりないさま)もの”の跡をたどる吐息のような小説でした。

この小説の冒頭は、こう始まります。

永遠子(とわこ)は夢をみる。
貴子(きこ)は夢をみない。

そして最後は、こう終わります。

(貴子は)夢をみたことなどすぐに忘れていった。

永遠子と貴子という2人の女性の境界が、だんだんと1人の人のニュートラルな両面のようなあいまいさをみせ、読み手は物語を読むというよりも、2人の夢のはざまに落ちてしまったような感覚になります。

夢がくりかえされている。あの夏の一日がいまとして流れている。永遠子は眠りの目のうちでさらに瞼をつむる。足先が冷えている。夢をみている永遠子の肉体そのものが冷えているはずなのに、車内の空調がききすぎているせいだと思えていた。このまま夢のなかで過ごしつづけることになったとしても永遠子はかまわなかった。これからさきに起こったはずの出来事も、この夏を機に貴子と会わなくなることも、夢のなかの永遠子は知っている。一生目覚めず、やがて眠りのなかの永遠子が、今の自分の年を追いこしてゆくとしてもかまわなかった。

(「新潮 2010.9月号」115ページ)

こんな文を読むと、夢をみていることさえも現(うつつ)と重なり、時間という枠組みさえも無意味に思えてきます。

永遠子(とわこ)という名前を登場させたことも、その枠組みをあっさり超越している証拠でしょう。立ち止りながら読まないと、どこにつれていかれるかわからない、そんな集中力のいる読書を強いられます。さくさくっと読む読書の対極にあるような。今後、今回の作品の160ページを越える長編を書くとしたら、どんなふうになっていくかと、それは興味深いところ。

この小説、話題になりましたが、はたしてこれからどのくらいの人に読まれていくかは、ちょっと疑問ですが、私は面白く読めました。あいまいさを面白がれれば、楽しめる本です。

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