« 初詣でおみくじ大吉 | トップページ | 2012年という本 »

2012年1月10日 (火)

新訳「チェーホフ短編集」

今年最初のブックレビューは、前から気になっていたチェーホフの短編集です。新訳が出たと聞いていたし、翻訳者が沼野氏だということで、手に取りました。まとめてチェーホフの短編を読むのは実ははじめてです。

沼野氏が13つの短編を大きなカテゴリーに分けて、それぞれを解説しています。ひとつひとつの短編も、その解説を読むとさらに時代背景や、他の作家からのその作品の評価がわかり、味わい深い読書になりました。

最初の方にあった「いたずら」には、興味深い試みもありました。物語の結末が、まだチェホンテという名で書いていた雑誌版(1886年)と、チェーホフという本名になって書いた改訂版(1899年)の2つを並べて載っているという点です。その2つの結末をどちらが良いとか悪いとかいわず、若書きのチェーホフなりのキッパリした面白さ、改訂版の練られた芸術性を評価しているのが沼野氏の懐の深さ。チェーホフの作品と同様、翻訳者としての沼野氏の醍醐味です。

チェーホフは地方都市タガンローグからモスクワに出てきたとき、貧しい一家の家計を支えるために、医学生としての勉学に励むかたわら、チェホンテを初めとする様々なペンネームを使って、ユーモア雑誌のために短編を書くまくり、原稿料を稼いだ。

1886年3月、チェーホフは文壇の長老グリゴローヴィチから、あなたには「めったに与えられるものではない才能」があるのだから、それをだいじにしなさい、「やっつけ仕事はおやめなさい」という真率な忠告の手紙を受け取り、強い感銘を受けている。(68ページ)

という裏話も書いてあり、短編を書きまくったなんていうところは、ふとフィッツジェラルドを思い出したり。

「せつない わが悲しみを誰に語ろう」も心に残る作品でした。貧しい御者のイオーナの悲しみが文字からじわっとにじみ出てくるようで。

彼はひとりぼっちになり、またもや静けさが訪れる……。しばらく鳴りを潜めていたせつなさがふたたび姿を現し、以前よりも強い力で胸を締めつける。イオーナの目は通りの両脇をせわしなく行き来する人の群れを、不安そうに、苦しそうに、きょろきょろ見回す。この何千人もの群衆の中に、せめてひとりでも、話を聞いてくれる人はいないだろうか。しかし人の群れはせわしなく行き交うだけで、何も気づかない――彼のことにも、そのせつない気持ちにも……。せつなさはとほうもなく大きく、果てしない。もしもイオーナの胸が裂け、せつなさが流れ出たら、それは全世界を覆い尽くすのではないだろうか。それなのに、このせつなさは目には見えないのだ。そいつはちっぽけな殻の中にでも隠れることができるので、昼間に火をともしても見ることができない……。(190ページ)

この解説では、原題がロシア語では「トスカ」ということが書いてありました。この「トスカ」という言葉はひじょうに意味の多面的なところがあり、深みを持つ語だそうで、ロシア語のニュアンスを伝えるのは至難の技のようです。二葉亭四迷や詩人のリルケもこの言葉を訳すのに苦戦した話も大変面白かったです。

最後に収録されている「奥さんは小犬を連れて」の解説では、この作品がいかに小説の歴史の中で重要な作品であったか、ゴーリキイやナボコフの賞賛が引用されていました。ナボコフはあまりにこの作品に心酔したため、チェーホフのこの作品に対するオマージュとして「フィアルタの春」という短編を書いているそうです。う~ん、こちらもぜひ読んでみたいものです。

世界の短編を読むのを今年の目標にしたいと思っています。

|

« 初詣でおみくじ大吉 | トップページ | 2012年という本 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/114487/43678494

この記事へのトラックバック一覧です: 新訳「チェーホフ短編集」:

« 初詣でおみくじ大吉 | トップページ | 2012年という本 »