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2012年9月27日 (木)

「渡りの足跡」

小川洋子さんのラジオ「メロディアス・ライブラリー」で以前取り上げられた本「渡りの足跡」を読んだ。

暑い季節から秋風が吹く頃になると、自然は人間が面倒がる衣替えよりもずっと潔く、それころしぜんに身をまかせて準備を始まる。渡り鳥は、命懸けの旅の準備を始めるのだ。

梨木香歩さん(「西の魔女が死んだ」の著者)のエッセイは、その“渡り”の旅立ちをじっと見守っている。彼女の眼差しは、渡る鳥だけに限らず、やがて越境するすべての生きものに向けられる。

このエッセイの最後に哲学的ともいえる深い洞察に満ちた文章がある。少し長いが、引用したい。

 鳥瞰図、という言葉は、高い視点で俯瞰された風景のことを言うけれど、鳥の視力は(特に狩りをするオオワシなど猛禽類のそれは)、人間には考えられないほど優れたものらしい。時々その感覚を想像する。
 それはきっと、マクロとミクロを同時に知覚できるようなものではないだろうか。遠くでしている生活の音やにおいが、動物の動きがまるで自分がそこに身を浸しているように感じられるような。彼方で誘ってやまない北極星の光が、外界と内界の境を超え、自分の内側で瞬くのを捉えられるような。
 それは越境していく、ということであり、同じボーダーという概念を扱いながらも、他者との境に侵入し、それを戦略的に我がものとする「侵略」とは次元も質も違う。「越境する」ということの、万華鏡的な豊穣さに浸かって、言葉が生み出され、散らばって、また新たな言葉が誕生する。そういう無数の瞬間の、リアリティの中を、生き物は渡っていく。
 秋になれば、カムチャッカのほとんどすべての鳥は、渡りを始める。体重十グラムも、五千グラムも。群れになって、あるいは単独で。(159ページ)

時間という季節に背負った余計なものを捨てて、最短距離を行くのではなく回り道もしながら、渡っていくその足跡は、思ったよりもずっと豊かなものであることを示していた。寒さがます北海道の空を見渡してみたくなる本だ。
  
 

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