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2012年12月20日 (木)

「私小説」

前から気になる作家だった水村美苗さんの小説を読みました。以前、評論の「日本語が亡びるとき」をレビューしましたが、こちらはどっぷり『私小説 from left to right』で、1995年野間文芸新人賞を受賞している作品です。

タイトルからわかるように、日本語の文芸書では掟破りの横書きです。その理由は、日本語にところどころ英語がまじるから。でも、実はもうこういう日本語の横書きって、ブログやインターネットの世界では違和感なしで起こっていることなんですよね。この本のすごさは、17年前に横書きをしぜんにやっていることです。そしていまでも刺激的。

ところどころに出てくる英語に訳は全然ついていなくて、話はふつうに続いていて、それが主人公の日本とアメリカとで揺れる感じにもつながっていて面白い雰囲気でした。あの映画「Lost in Translation」も英語の会話のあいだの日本語をあえて訳していない感じに似ています。

この本のキーは、姉との電話ですが、その会話も印象的。そして、母との距離もなにか身につまされるものを感じさせます。主人公、その姉、母の三人三様の性格と生活が浮き上がってきて、過去で交差し、現在に点在する孤独をかこっている――主人公は、書くことを手がかりにして一歩踏み出していこうとするそのラストが印象に残ります。

この主人公が関わるアメリカの2人の先生の姿、ことばも忘れられないものでした。一人はユダヤ人のMadame Ellman先生。

もっとも強く打たれたのは、Madame Ellmanにとってはふるさとというもののみならず、母国語というものも大して意味をもたなかったということであった。(p,378)

そして、“Home is not a place to return to” という言葉を残しています。もうひとりが主人公の指導教授Bic Macのこと。

日本語の世界も英語の世界もよく知っている彼は、言葉が人間を創ってしまうのを知っていた――というより、言葉そのものが世界を創ってしまうのを知っていた。
 翻訳者として名高い彼は言語の翻訳可能性を容易に否定するようなところにはいなかった。翻訳の可能性の限界を地道に掘り起こし進んでいるからこそ、言語の本質にある、他の言語に還元できない固有性を慈しんでいるのにちがいない。実際、彼は日本語を慈しむだけでなく英語をも慈しんでいるのが感じられた。(p.383)

母国語や何語と限定することなく、言葉への慈しみが深く感じられる文。言葉への想いを、自らの“私小説”という言葉でつづっていくしかないという切実感も伝わってきました。これから注目したい書き手です。水村さんの小説、今度は「本格小説」を読んでみることにします。

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